東京に引っ越してから、筆者は街中で外国人を見かける機会が増えました。特に中国人の方たちには毎日といってもいいほど出会います。
彼らが日本語で店員と話しているのを見るたびに思うことは、マンガやアニメでよく見かける、「~アルヨ」という表現、あれ何なの……? ということです。
「アルヨ」は「ワタシ中国人アルヨ」のように、中国人特有の語尾とされていますが、実際にそんな話し方をしている人など見たことがありません。
どうして、このようなステレオタイプが生まれたのでしょうか?
まずは「アルヨ」の歴史をたどる前に、「役割語」という概念をおさえておきましょう。
「役割語」とは?
例えば、小説に「ワシが佐藤じゃ。お主のことは山本から聞いておる」と話すキャラクターがいたとします。
すると読者のほとんどは何の説明がなくても、「佐藤」がおじいさんであることを理解します。
この「ワシ」「じゃ」「おる」のように、フィクションの世界で人物のキャラクター付けのために使われる言葉を「役割語」と言います。
「アルヨ」は、中国人を表現するための役割語。本物のおじいさんの一人称が「ワシ」とは限らないように、中国人も実際に「アルヨ」と話すわけではありません。
では、どうしてこのような役割語が生まれたでしょうか。かつての中国人が使っていたから? この仮定は半分正解で、半分間違いです。
欧米人も「アルヨ」と言っていた?
「アルヨ」の起源は幕末にまでさかのぼります。
1858年の日米修好通商条約を皮切りに各地に設けられた外国人居留地では、欧米人や中国人によって生み出された独特な日本語が話されていました。
助詞が省略されていたり、語順がバラバラだったりといびつで、「アルヨ」もここから生まれた表現だとされています。
つまり、この時点では「アルヨ」は外国人に特徴的な表現で、中国人限定のものではなかったのです。
その後、大正から昭和初期にかけて、日本人は台湾や満州に入植。中国人と日本人の接触が増え、このときもやはり上記のようないびつな日本語が使われました。
特に満州国で用いられたこうした日本語は「協和語」と呼ばれ、中国人独特の表現となっていきました。
そうして、「アルヨ」のイメージが「外国人の使う日本語」から「中国人の使う日本語」に塗り替えられたというわけです。
現在では、「~なのじゃ」と話す年配の人にはほとんど出会わなかったり、「~だわ」「~なのよ」といったいわゆる“女性ことば”はフィクションの中でしか使われない表現になりつつあるなど、役割語の持つ意味も変わってきています。
「~アルヨ」のような画一的な表現は、今後見かけなくなっていくのかもしれません。
引用URL=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171020-00000003-it_nlab-life
コメント
謎が解けてちょっとスッキリ。
↑これはわかるが、
>「~だわ」「~なのよ」といったいわゆる“女性ことば”はフィクションの中でしか使われない表現
↑そんなことは無いと思うぞ。自分の周りでは普通に使われている。
でも結局「アルヨ」が何が元になったのかが気になります
初心者でも正しく伝わる工夫がなされた話し方である。動詞の原形+アルで肯定を表し、+ナイで否定を表す。
例えば「話す」の原形しか知らなくても「話すアル」で肯定形を、「話すナイ」で否定形を表すことができる。
例えば、
「私は明日の朝、仕事が早いので、今日は酒を飲まない。」
だったら
「私、明日、朝、仕事、行く、早いね。だから、私、今日、酒、飲む、ないね」
といった感じになる。奇異ではあるが、単純な言葉だけで正確に伝わるように工夫がこらされている。
日本人だって、英語がほとんど話せなくても
I EATLUNCHOK?
とか、とにかく単語を並べて、通じるように腐心するではないか。それと同じことだ。差別をしてきたとかいう色眼鏡で見るのではなく、ごく少ない単語で伝わる工夫がこらされてきたという観点から、理解をして欲しいものである。
からかと思ってた
滅多にないけど時々聞きます。
マイナスイメージは無いけど漫画の影響は果てしなく大きい。
どの漫画も大好きだわ
アルヨに関して日本人はマイナスイメージ無いです。
むしろめっちゃカワイイ
すぐ壊れるのはわかっていたが、何と1年も持った。「アルヨ」と聞けば思い出す。
「アイヤー」とか「ポコペン」とかは?
本当に欧米人が使っていたの?
詳しく調べて根拠も併せて正しく書いてほしい。
いずれにしても、書いている方の勝手な理屈だよね。
いや、佐藤さんは岡山県民か広島県民であるという判断になります。
非常に多くの児童が愛読してたと言われる、漫画のらくろは敵方の中国に見立てたトンカツ将軍の国民のセリフを軍人、民間人問わず「~アル~アルヨ~ヨロシ。」といった特徴をつけていた。
それが戦後も幅広い世代に受け入れられてイメージとして広まったという事だと思う。
たしかに、かつての"昭和婦女"的な語尾はフィクションや、洋画・海外ドラマの吹替でしか聞きなれないかも。
けどそれ以上に急変する流れとして、巷の話し言葉の語尾に男性特有、女性特有が無くなりつつある、ってのを痛感する。
今は妙齢の女性でも「~だぜ」と言えば、中年男性が「~なのよ」とも言う。この傾向はせいぜい20年かそこら前、バブル期以降に?いっきに強まってきた気が。
我的書(私の本)のように使う「的」をそのまま口に出してしまう。
好吃的東西 を 美味しいの物
(「東西」は漠然とした「もの」のこと)
と言ってるのはしばしば耳にする。
母語の関係で彼らは助詞に鈍感で、「〇〇である/〇〇がある」といった表現が崩れてそうなります。
また姉妹品として、「〇〇のこと/〇〇のことあるよ」というのは、中国語が「連体修飾語+名詞」の時に、どの品詞でもすべて日本語の「の」に相当する「的」を使うことが影響しています。
「〇〇のこと」は、母語の影響が強いため、正規の日本語教育を受けた人でもつい使ってしまうことが多々あります。
しかし「〇〇あるよ」はどちらかというと、正規の日本語訓練を受けておらず、仕事などで自然に日本語を覚えたような人に多く、「とにかく通じればいい」という感覚で誤表現が定着してしまったというパターンのようです。
満州国の建国当初に使われていた言葉。
ただ「アルヨ」が世の中に認知されたのは
間違いなくゼンジー北京のお陰だと思う。
まあ語源はそうかもしれないけど、実際に聞いた事ないってことはさすがに無いと思う。
個人的に男は男らしく女は女らしくを他人が強制することは大嫌いだけど、そういう意味ではなく、お互い違いはないと異性として魅力を感じにくくなるとは思う。
だから女の子らしい服装、髪型、喋り方という文化は社会に存続していっては欲しい。
ちなみに30代女性ならまだ「~かしら」「~だわ」は聞く。
多分、昔はその人も使っていなかったと思うけど、歳をとって女らしく振舞う意味を再確認したのかも。
俺も元々半分は乙女なところがあるし20代までは男らしくすることに何処か反発があったけど、30代になって自分と付き合う女性のために服装、役割、性的にも男らしく変わったと思う。
20代前後の女の子が乱暴な男言葉を使っているとさすがにギャップ萌えすらしないなぁ。(個人的趣味だが)
独学で日本語を学んだ中国人が知ってる言葉をつないでカタコトで
話ししていたのを揶揄する形で伝わったりしたのかなぁ。。とか思ったり。
後は、芸人や役者が誇張してそう言う表現してたのが残ってるのかなと思ったり。
日本人だって英語が得意では無い人がカタコトで英語を話したら
すごく変な風に聞こえてるって聞いた事もあるしね。
じゃないの?
まだまだ普通につかわれていますよ。
ドン!ガン! ドン!ガン!
ぱ ぱ ぱぱ~♪ ぱっぱ ぱーーー♪