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日本人の寿命が延び続けている。2016年9月、厚生労働省は「100歳以上の高齢者が全国に6万5692人に。46年連続の増加」と発表した。
医療の発展や栄養・衛生・環境状態などの向上から、わたしたちの寿命は延び続けている。しかし、心から喜べないのはなぜか。
最近、よく聞かれる「長生きなんかしたくない」という声。高齢者のみならず、20代の若い人まで長生きを恐れている。
仕事の不安、結婚して生活できるかの不安、年金の不安などで、長生きが幸せにつながらないという背景があるようだ。
いま、実際に長生きの現場では何が起きているのか?
ノンフィクション作家・松原惇子さんは、著書『長生き地獄』(SB新書)で、延命治療、在宅医療、有料老人ホーム、孤独死など、さまざまな長生きの現場を徹底取材し、その実態を書いた。
松原さんは現場取材から、日本には“死にたくても死なせてもらえない高齢者”が大勢いることを知り、愕然(がくぜん)としたと言う。
そんな松原さんが見た“死ねない現場”とはーー。
「死なせてくれ!」の声なき叫び
和男さん(仮名)の父親は80歳のとき、脳出血に見舞われ、救急搬送された。ICUに運ばれ、すぐに手術が行われたが、父親が一般病室に戻ってきたときは、意識のない状態だった。
現在は、日本尊厳死協会にも加入し延命治療の知識もある和男さんだが、当時は延命に関する知識もなく、自分の無知さに腹が立つと話す。
「親父が倒れたことだけで、わたしたち兄弟は動転してしまい、すべての判断は医師任せでした」
「先生! 親父を助けて! 助けてください!!」。兄弟そろって、医師にそう懇願した。まさか、父親が植物状態のまま生かされ続けることになるとは……。
父親の鼻から入れられたチューブは、2年後の死ぬときまで外されることはなかった。鼻からの栄養注入だけでなく、腕には点滴も行われ、和男さんはそのときの様子を思い出し顔を伏せた。
点滴は延命治療と捉えにくいが、実は点滴も延命治療の一つなのだ。
父親の手は2年間に及ぶ点滴の針のせいで、真っ黒でまるで炭のようになり、針を刺す1点の場所もなく、ついには最も神経過敏で痛い場所、手の甲や足の甲にまで刺したと言う。
皮膚は真っ黒、日に日にやせていく父親の残酷な姿に、息子の彼は、ただそばにいて声をかけるしかなかった。
父親の反応はまったくなかったが、「早く死なせてくれ!」と言っていたに違いないと振り返る。
さらに、恐ろしいことがある。和男さんの家は資産家で病院に顔が利いたため、3か月しかいられない病院に2年置かせてもらったのはいいが、病院側としては、点滴するだけでは長く置くことができないため、3か月に一度、なんらかの手術を試みたというのだから驚く。
ちなみに2年間で病院に支払った金額は、約2500万円である。
声も発せず、ただ生きているだけのようだった父親。家族の延命に対する無知と病院にお任せしたとことによる、父親の悲惨な最期と言わざるをえない。
もし、自分が逆の立場だったら?
こんな最期を望むだろうか。良かれと思って頼んだ延命治療が、父親を苦しめた。
生きていてほしいと家族が望んだこととはいえ、残酷な最期を父に強いてしまった。愛情のつもりだったか、家族のエゴだったのか……。
この話を聞いたとき、元気なうちに、自分の意思を家族にきちんと伝えておくことと、家族にも尊厳死について勉強してもらうことが必要だと、わたしは強く思った。
つまり、たとえ尊厳死協会に入っていたとしても、病院に運ばれてからでは遅いのだ。
延命治療をなされないためには、日頃からの家族とのコミュニケーションが不可欠なようだ。
オランダには「延命」という言葉さえない
現場取材から、日本の延命治療に疑問を感じ、2015年春、わたしは福祉の先進国であるオランダへ飛んだ。
高齢者住宅の視察に行き、そこで得た言葉に度肝を抜かれた。
「延命治療についてお聞きしたいのですが、どのようにされているのですか」と聞くと、対応してくれた方は笑いながらこう言った。
「延命ですか? オランダには延命という言葉さえありません」
つまり、延命をしないのが当たり前。オランダでは延命措置は患者が選ぶものでも、医者が選択するものでもなく、存在しないものなのだ。
回復の見込みのある患者に、一時的な措置として胃ろう(腹部に小さな穴を開け、直接、胃に栄養を入れる方法)をすることはあるが、延命のために、胃ろうをすることはないと言い切る。
延命をしない、これは、オランダだけではなく、欧米でのスタンダードな考え方になっている。欧米には寝たきり老人はいないのだ。
年を取ると寝たきりになるのは、日本だけの現象なのかもしれない。
終末期医療に詳しい、宮本顕二医師と宮本礼子医師は、スウェーデンを視察した際に、日本との終末期医療の差に愕然としたと、その著書のなかで語っている。
欧米には寝たきり老人がいないと言われているが、その理由について、医師らはこう示している。
その理由は、高齢者が終末期を迎えると食べられなくなるのは当たり前で、(中略)延命を図ることは非論理的であると、国民みんなが認識しているからでした。
逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
日本のように、高齢で食べられなくなったからといって経管栄養や点滴はしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。
(『欧米に寝たきり老人はいない』より引用)
日本と欧米の医療現場の差と患者側の知識の差に、わたしは腹立たしくなった。
日本人は欧米人とは真逆だ。自分の命なのに、医師にお任せ、家族にお任せ。「先生にこんなこと言ったら失礼だ」と、自分の希望を言わない。
先生の言いなり。自分の命を守るのは自分でしかないはずなのに。つまり、生死の勉強をしていないから自分の意見がなく、言えないのだ。
延命治療の知識は、医師のものではなく、私たちが学ばなくてはならない大事なこと。勉強して自分の意見を持たないと、自分も家族も苦しむことになるのだ。
良い死のためにすべきこと10
自分が寝たきりにさせられないために、そして家族を寝たきりにさせないためにも、今の元気なうちに勉強しておく必要があるだろう。
良い死に方を考えること。それは、超高齢社会を突っ走る、わたしたち日本人一人一人に突きつけられている大きな課題だ。
『長生き地獄』の5章に書いた「良い死に方を考えるための10のポイント」は、「良い死」を考えるきっかけになるはずだ。良い死に方とは、つまるところ、良い生き方に通ずるのだ。
「良い死に方」とひと言で言っても、具体的に何をどうすればよいのか、健全な判断ができる今のうちに、きちんと考えておく必要があるだろう。
「そのとき」になってからでは遅い。ここでは、「良い死に方」のために考えておきたい10のポイントをわたしなりにまとめてみた。
●延命治療をするか、しないか(尊厳死を望むか)
●リビングウイル(※)を書く
●家族や友人に自分の意思を伝えておく
●救急車を呼ぶか、呼ばないか
●孤独死を望むか、望まないか
●最期は自宅か、施設か
●あなたの地区に訪問医はいるか、いないか
●生死について話せる友達がいるか、いないか
●自分なりの死生観を持っているか、否か
●今を楽しんでいるか
(※)編集部注:自分で意思を決定・表明できない状態になったときに受ける医療について、あらかじめ要望を明記しておく文書。
皆さんもこれを参考に、自分なりに考えておくことをお勧めする。
引用URL
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171021-00010867-jprime-life&p=1
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171021-00010867-jprime-life&p=2
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171021-00010867-jprime-life&p=3
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コメント
名無しさん
延命を考える前に、人はいずれ死ぬこと、老いていくことを理解できていない人が多いと思う。おじいさんやおばあさんに大手術をしてほしいと家族がいった割に、術後弱った老人の介護は無理だという人が多い。手術をすれば元に戻るのは若い人だけ。
そして、老いるという体におこる生理現象を理解してほしい。その上で今後どうやって過ごすかを考えれば、延命するかしないか、という議論は自然になくなるはず。家族だから、生きててほしい気持ちも分かるが、年齢や体の老いはどんなに願っても、誰にも止められない。よくこの歳まで頑張ったね、と送り出してあげる気持ちも大切だと思う。
名無しさん
延命治療より、緩和ケアを優先してほしい
痛みを取る、呼吸を楽にする、息苦しさを取る
無理なら意識を取る。
まあ、もう、点滴で血管ボロボロなので、できることも少ないんですけどね
名無しさん
先日90歳を超えた祖母を看取りました。点滴以外の延命治療はしませんでした。最後の半月程は苦しそうでかわいそうで、正直早く楽になってほしいと毎日思いました。生きることと生かされることは全く意味が違うと実感しました。そして介護はする人もされる人も負担が大きすぎます。色々考えさせられました。
smt
長生きがいい事なのだろうか?長寿国と言って誇れるのは健康寿命に限っての話だと思う。医療を受ける側も自分の意思をしっかりと持たなければならないが日本の医学会が欧米並みのスタンダードに変わっていかないと全体はなかなか変わらない。歳とったら食べれなくなって、死ぬのは普通のことだと。
非通知
某高級住宅街近くの市民病院で勤めていましたが、
ほぼ反応の無いおじいさんやおばあさんに、胃瘻を増設したり、人口呼吸器をつけてまで長生きさせようとする子供たちが大勢いました。
見ていて痛々しかっ…。
反応の無い親をそこまで生かしておきたい理由は、生きているだけで、会社役員だと給与が当たるとか、生きてると年金が当たる…という子供が親のお金目当てで驚いた記憶があります。
名無しさん
先日お亡くなりになった聖路加国際病院の日野原先生は、作家の曽野綾子氏に
>私は昔、先ごろ亡くなられた(聖路加国際病院名誉院長の)日野原重明先生から、「終末期にやってはいけない治療」を教わっていました。点滴、胃瘻、気管切開による延命です。
と、伝えていました。
私も祖父母を見た経験から、両手を挙げて賛成です。
点滴・胃瘻・気管切開による延命をしないことは、これからの週末期医療のスタンダードになって欲しいと切に願います。
to
祖母の時は親族で、延命を望まないと話し合いました。ただ、その時が来た時にやっぱり延命をしました。でもずっと意識もなく管につながれてる姿は可哀想でした。
二度目は、延命をしませんでした。
家族にとって辛い別れですが、本人は生きている実感もなく病院のベッド、この世にいるだけでは本人も辛いと思います。
私の最期はどうなるかわかりませんが、家族に経済的な負担にもならないように延命を望みません。
M65
延命治療を自分はしたくないが、家族ならばする人は多いと思う。
普段から考える機会がないこと、現実を知らないことが原因として考えられる。
後期高齢者になっても積極的治療をするのも、延命治療の一つだと思う。
テレビドラマでは治療をすることで治療は成功し、ありがとうございました、とにこやかに家族みんなで挨拶して帰っている。
でも実際は合併症がおきたり、不穏で大変なことになり、認知症になって家ではみられず施設に行くことになったりする。
そんな現実が医療費を押し上げたり、本人は治療したくなかったと言う人も多い。
せめて年金をもらうくらいになったら、本人の希望をしっかり聞き、話し合ってほしいと思う
名無しさん
人工呼吸器、胃瘻、点滴等等延命の方法は様々だが、自分達で看られず高齢の両親を特養に入れて、治療の場でない特養で病院と同じことを望む家族。エゴ以外の何物でもない。自然に死ぬ権利さえ奪っている延命は人としての尊厳さえ奪っている。
高齢者の死は苦しくなく家族や友人に囲まれて安心してあの世に行けるように看とりたいと思う。
人は必ず死ぬ。ご本人が望まないかぎり延命はするべきではない。良く考えもせず延命を善意と思っている人は延命された人が地獄を味わっているとは思っていないのだろう。
病院で散々看てきた体験からそう思う。
名無しさん
考察をもう一歩すすめてみましょう。
その老人の年金をあてにして生活している子供が世の中にはたくさんいるからです。票の源として高齢者を優遇してきたひずみがそういう形ででてきてる側面もあるでしょう。年金を無制限に支給することを、例えばやめれば、など、現実路線からの議論も抱き合わせで行わないと、これは医療だけの問題ではないでしょう。
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名無しさん
昨年は父、今年は祖母が亡くなりました。
急変した時に医師から延命治療の提案がありましたが、父の時も祖母の時も断りました。
延命治療で少しは長く生きられるかもしれないが、された本人はどう思うのか。
苦しい時間が延びるだけで、回復はしない。
家族にも経済的、体力的、精神的負担がかかることを考慮し、家族で話し合って延命治療を断った。
延命治療が良いのか悪いのかは未だにわからないが、遺された家族の負担は減ったと思う。
名無しさん
憲法改正も重要事項かもしれないが、尊厳死、安楽死の法律を早く作って欲しい。それをしないのに医療費が増大が問題になっているとか、そんなの当たり前だと思う。
uja
多くの家族は入院させたら、ほとんど顔を見せない。入院していたら安心だと。高齢者も「若い者と同じように回復するもの」だと思い込んでいる家族のなんと多いことか。90を過ぎた高齢者にも治療を強い、リハビリを強いる。もちろん、回復して退院する方も多い。でも入院中、容態が悪化する場合もある。点滴を嫌がり、無意識に抵抗する方も多い。押さえつけて点滴の針や栄養カテーテルを入れる。自分で抜いてしまう方も多い。抜かれないために家族の同意を得て、手足を抑制する。本人の尊厳なんてどこにもない。これのどこが「長寿」なんだ?
名無しさん
私の母親は48歳で亡くなりました。夫である父を同じ病院にいながらにして自分の身体にムチを打って病室から病室へ毎日のように看病に行って父が亡くなると母親も少しずつ体力も落ち点滴や痛み止めなどを使い頑張っていましたが、最後の言葉は「頑張ったから楽にして」でした。
子どもの私にはどんな状態でも生きて欲しかったけど、本人の本音は延命を望んでいない
延命は家族にとって支えかもしれないが本人にとっては苦痛でしかないのかと今も考えさせられています。
名無しさん
医療スタッフだが医師に全部任せている家族が多すぎる。治る見込みが無くてもコストのために延命治療する医者が大勢いる。高齢者はあっという間に年を取るんじゃないんだから家族が万が一の時の考えを持って無さすぎ。自分が寝たきりになった時に延命されたいですか?苦痛だらけですよ。看てるこっちが辛くなる。人生何年生きたかじゃなくてどう生きたかだと思うんですけど。このままいくと早い内に医療保険は破綻する。
ポチこ
高齢者医療のガイドラインが作られない限りこの問題はなくならない。ガイドラインは作られない。医療業界が破綻するから。個人で、できることは究極は救急車呼ばないこと。そんな事、できるかな。
名無しさん
父親が先が短い時に医者に延命治療を断った。自分が父親の命の区切りを決断して辛かったけど、残される自分や家族の事を考えたら延命して経済的に破綻することは避けなければならないし父親も望まなかったと思う。正解はないよ…
名無しさん
高齢者の仲間入りになったら、"寿命"という点に、もっと素直に受け入れるべきだと思います。
名無しさん
高カロリー点滴のみで半年寝たきりだった祖母を2年前に見送った。
食べれなくなった祖母に、医師は胃ろうを提案した。
母は悩んでいた、回復の見込みがない胃ろうは延命ではないかと…しかし、何もしなければ見殺しにするようで辛い…意を決して胃ろうは断ったものの、せめて点滴でと医師に言った。
後に、母は自分は点滴も必要ないからと言った
祖母は、半年間殆ど眠っていて
親子の会話もなかった、一度だけ視線が合ったが無言で涙しただけだからと。
そして日本に尊厳死という選択肢が認められたら迷わず選ぶとも。
母は自身の体験からそう思ったのだろう
自分は小さくうなずいた…
(・ε・`)
医師の言いなり、ってあるけど、
医者からも延命治療はすすめないほうが多いと思ってた。
どんだけ説明しても、人が死んでいくということが未知すぎて、話が噛み合わないこともあるし、
この間「温かい身体でそこに居てくれるなら、それだけでいい」とか、深夜の芸能人討論会?みたいな番組で主流の意見として取り上げられてたから、なかなか欧米のように割り切るのは難しいんじゃないかなぁ。
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名無しさん
延命治療には反対。人は必ず死にます。80歳を過ぎた老人に点滴や手術で延命し、死ぬのを待つのは残酷なように思えてしまう。点滴すればいつ死ぬかわからないし、長ければ2年でも3年でもベッドで生きて人間らしさは失われる。介護も精神的に疲れます。自分が死ぬ時も延命治療をされるのは嫌。死なせて欲しい。死ぬときに痛みがないように安らかにさせて。老人になれば死ぬ。当たり前だけど、無理やり長生きさせるのはどうしてなの?
名無しさん
死は、自身の自由意思で、決定できるようにすべき。
ゆえに、痴呆などになってしまった場合は、初期の段階で自分の命を、どうするが決めるべきだと思う。
だから、安楽死や自由自殺や残された家族のための自殺安楽死を、いやしいものいけないものとせず、これから生きていく人のために命を捧げてくれた行い、尊いことと考えるべきだと思う。
その上で、一切の全ての強制や誘導などは、あってはならないと考えるべきではある。
超高齢化社会、高齢老人の痴呆3割以上になる社会において、安楽死や自由自殺を、尊厳死、これから生きる人のための尊い死であると、社会全体が認めるべきだと思う。
未来の世界を守るための、尊い行いだとすべきだと思う。
30年後には、一人の青年が一人の老人の面倒の全てを見なくてはならない世界に突入するのであるから、未来に生きる人の負担や生活を守るためには、このような極論も必要だと感じている。
名無しさん
家族としては生きていて欲しいという気持ちはわかります。
私の兄は20歳から体調を崩し23頃には完全介護になり寝たきりで何も自分で出来ず、生きるためには気管切開しかなく気管切開し食事は鼻から胃に管を入れてあるのでそれで栄養剤やミルクなどを入れています。
そこへ行き着くまで必死でとにかく出来る治療を!と家族一丸で兄がどうすれば生きていれるのかと、本当にとにかく必死でした。
その状態で落ち着き介護生活が始まりました。
状況は20年近くなった今も変わらずです。
寝たきりで自分では何も出来なくなって意思疎通も出来ず兄は今幸せなのかな?あの時延命した事は私たちのエゴなのでは?何度も何度も考えました。
どう考えても答えはわかりません。
でも祖母の時は無理な延命せず自然に任せました。
穏やかに寝ている様に息をひきとりました。
難しい問題。人として生きれる事を優先するのか、ただ生きる事を優先するのか。
名無しさん
少子高齢化というと、
・子供が少ないからだ!
みたいな話になり、出生率を上げるとか、育児環境の改善とかばかり(*´-`)
年金問題も、支給額やら開始年齢やらの話ばかり。
それはそれで良いが、
・無理矢理生かされている高齢者
・その高齢者に支給され続ける年金
を減らすことを考えるべきかなと。
本人の意識が1年経っても戻らない場合は、年金支給を打ち切るなど、色々難しいかもしれないが、そこへ踏み込まないと意味がないように思います。
名無しさん
看護師をしてますが、私は単なるエゴにしか思えないです。50、60の人に可能性を信じて行うのはまだわかるが80、90の人に気切やペグ作って何がしたいんだと思う。まず家族が決断する前にあなたならどうされたいかよく考えて欲しい。そのためにも必ずリビングウイルは必ず書いておくべきだと思う。
名無しさん
私は医療従事者ですが、医療者側にも問題があると思います。医療の進歩、技術の向上等を理由に低侵襲と謳い90歳過ぎた高齢者にペースメーカーや人工弁をカテーテルで入れる手術を行う。その患者は認知症であったり、術後せん妄からくる寝たきり、あげく認知症になるという…。本人の意思も本当のyesなのかも怪しいです。「今の医療はこんなことができるんだ」という医療者のエゴで手術(それ以外の様々な延命措置も含め)を行っている様にも思えます。
もちろん高齢者の年金狙いで延命措置を希望する家族ももちろん居ることは事実です。でもそんなことをしたらそのしわ寄せで医療費分の税金が自分たちに掛かることを考えた方がいいと思います。純粋に家族に長生きしてもらいたい気持ちはわかりますが…。
戦争から70年も経ち遺族年金受給者も減ってきている今、延命措置について日本も考え直す時期がきているのではないでしょうか。
名無しさん
医療スタッフですが、意志疎通もできない高齢者に胃ろうを行い施設に入れ、施設がデイサービスを経営していればデイサービスにも連れていかれるのを見ています。儲かるのは施設経営者。刺激を与えた方がいいからと、介護保険ギリギリまで使い、がっぽり。インフルエンザにかかり亡くなりました。家族も言われるままにしすぎ..。こうなると枯れるように穏やかに亡くなるのは無理なんだろうね。何かに感染して点滴して、体力がおいつかなくなって終わりか。食べられなくなったら、自然に亡くなれたのに。胃ろうは一時的にだったら賛成だけど、終わりが見えないのは反対。処置をしていると目が合い、「もう嫌だ、つらい」といっているようにも見えてしまう..細い腕に点滴だって痛いよね。。尿のカテーテルだって嫌だよね。今となっては本人の意思は聞けないし反映できない。親が大事だからこそ、今のうちによく考えて話し合っておかないといけないと思います。
名無しさん
ボケるぐらいなら早く死にたいと思う派だからこういう考えなのかもしれないけど
高齢者の医療費を負担しているのは誰かとかその一つの病床で助かる命があるかもしれないと思うと長生きが全ていいことではないのかなと思う
名無しさん
私の父が亡くなったときは延命治療はしなかった。
生前から父は延命治療を望んでなかったからだ。
親戚に延命治療して自宅療養していた人もいたけど、意識もなく植物状態で何年も生かされてる状態をみてると、かなりの負担を強いられていた。
そのため、父も延命治療を望んでなかったと思う。
僕が同じ立場だったら
延命治療は望まない。
名無しさん
人生まだまだこれからだという40歳未満の方なら生きる希望を持たせるためにも延命治療は必要だと思うけど人生の折り返し地点を過ぎた40歳以上の方は緩和ケアを優先させる事を視野に入れる方がその人のためだと思います。
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名無しさん
看護師の知人が言ってたけど、80代や90代で癌がみつかった時に家族(主に子供)が治療を望むケースは多いらしいです。患者本人は子供達から「まだまだ生きてもらいたい」と説得されて治療を受ける。医者もその希望に沿って治療を始める。
でも、抗がん剤・放射線・手術、決して楽な治療ではなくて、その痛みや苦しみに耐えきれず、もうやめてほしい・やりたくないと本人が訴えてくる。医者や看護師の手を強く握って、もう嫌だと訴えかけてくる老人の姿を前にすると、やりきれなくなるそうです。
それでも家族は病院側に対して、治療法がある限りやめないで欲しいと言う。なのに、治療によって体力が奪われた患者を自宅に連れて帰れないから退院後に入る施設を探して欲しいと言う。
こういう現実を目にすると、延命はエゴでしかないと言ってた。確かに治療に耐えうる体力がある年代ならまだしも、ある程度高齢ならば寿命を受け入れることも必要だよね。
名無しさん
父親が若くしてがんで亡くなったからか、家族間で最期の時について、よく話している。
93歳で祖父が亡くなったときも、医療行為もできる施設にいたが、延命にかかる処置は一切しないように予め家族が強く申し入れていた。眠る時間が増え、食事を摂らなくなり、大好きなリンゴジュースだけを少し飲み、眠るように亡くなった。
母も介護が必要になれば施設に、がんなら痛みを取ってくれればよく、良くならないなら延命はいらないと言っているので、家族としては本人の意志を尊重するつもりでいる。
実際に延命措置が必要になるような誰かの死に直面しないと、事前に具体的に考えることはとても難しいことだと感じます。
ねこだいすき
植物人間状態になると分かっていたら治療したくないかな。
ただ、若い人の場合、奇跡の回復を願って延命治療をお願いしちゃうかも。
老衰に近い状態なら、自然にまかせて、本人が痛かったり苦しんでたら、それを取り除くことだけ考えるかも。
名無しさん
がん保険に入って無く癌を宣告されました
いろんな心配をしこのまま安楽死して貰えればと思いました。
日本も生きる権利死ぬ権利も選べればと思います!
名無しさん
延命措置をして一命を取り留めても、蘇生後低酸素脳症で、何も話せない、動けない、でも脳死ではなく、植物状態。
そうなった時に、どこかで命の区切りをつける安楽死という選択が欲しい。
昔なら助からなかった命かもしれない。
助けるなら、安楽死、尊厳死もあっていいはず。
名無しさん
怖いな。ひとの命で金儲け。半年に一度の意味のない手術って、もうほとんど人体実験みたいなもんやん。
ひとの最後って結局倒れてからジワジワ弱って亡くなるんだけど、この間、排泄物のお世話と寝返り床擦れの管理だけしてくれればもうそれでいいと思う。
死んで行くにも、痛いししんどいのは絶対つきもの。
なるべくなら短い方がマシだけど、煩わしいと人に思われつつ亡くなるのは嫌やな。
名無しさん
私はもちろん、尊厳死はいいんだけど、
介護する側から言わせてもらうと、
じゃあなぜ、実際に亡くなったら、警察がきたり、疑われたりされなきゃいけないシステムなの?孤独死だってそう。
施設で働いてるんだけど、先日入居して5日目ぐらいの人が、急変して救急車の中で心肺停止になった。まだ往診医も視てなかったから、さっぱり意味が解らず。後日、入居する前にいた病院からの医者への情報には、末期ガンらしき記述が。何も知らされず、施設に丸投げした病院、家族はどう思ってるのか。
私は、この亡くなり方は、老衰じゃない!って思ったから。ショックだったし、悔しかった。
死んでいく事に対して、どこもかしこも、責任を取ってくれない。あげくに、何も知らされず施設にほおるなんて。責任の取れない国なんですよね。
名無しさん
私の父母は共に70歳過ぎてとうの昔に現役引退。今は趣味やボランティアにシルバーパスを駆使して毎日のように出掛けるほど元気です。
それでも二人とも「痛みの緩和は受けるが、延命治療はするな」と私に言います。
もちろん本人の意思を尊重するつもりですが、いざその時に自分は冷静になれるだろうか?
この問題って子供の覚悟が問われてるのだと思います。
名無しさん
自腹なら構わないが、健康保険からの支出なら、たまったものではない。
現実に余命半年の人の医療費に、ほとんどが使われている現実がある。
健康保険税が、どんどん上がり、健康に働いている人の可処分所得が減れば、食べるのも苦しい、子供に回せる金も厳しい人が沢山いる。
延命よりは子供の医療費を無料にしてあげたい気持ちの方が大きいし、不妊治療や出産費用に支出してあげてほしいと思います。
終末医療費については、考え直してもらいたい。
poko
オランダのようであって欲しいと思う。寿命が長いだけでは幸せではない。
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jiji
普段から医師や病院で、アンケートや聞き取りできたらいいよね。
もし寝たきりになっても延命したいですか?とか、点滴や栄養剤の投与の有無とか。
臓器提供もそうだけど、あまり推進して調査はしないですよね。
看取ってくれる人や介護してくれる人の有無とかも。
都市じゃそんな地域密着型みたいな事はできなくても、初診時にアンケートくらいできるよね。
家族で話せるのは理想だけど、仲の良い家族ばかりではないし、義家族なんかは本音で喋れない。
ボケる前にというよりは、明日事故でいきなり寝たきりもありえるし、若いうちから家族なり病院なりに意思を伝える機会があればいいよね。
名無しさん
父親からは延命治療はするなと言われていたので、本人の意思を尊重して、その通りにしました。
それで良かったと思っています。
名無しさん
元夫から元義母の自宅介護を丸投げされていた。自分は何もしないから、どんな現状か全く把握しておらず、私だけでなく施設や医師が説明しても「そんなわけねぇだろ!」と聞く耳も持たなかった。最終的には胃婁を設け、床ずれが深刻になって外科手術まで行った。もちろんその時には意思疎通など全く不可能。介護していて分かったのは痛みや不快など嫌だと感じる感情だけは人一倍強まるというか、最後まで残るということだった。言葉まで発せられなくなったとはいえ、どんなにか苦痛であったかと今でも不憫に思える。元夫は何を思って胃婁を選択し延命させたのか?元義母の年金?世間体?自己満足?親孝行?
今更分からないが延命を望む者ほど、実際に介護に接しておらず
現状を理解していないように思える。
名無しさん
昔のように身近に年寄りがいて、老いて亡くなるのを見ていない人が多いから、90過ぎてるのにいつまでも医療に頼ればまた元気になると思い込んでる家族がいる。老化現象を学ぶ場所が必要かも?それに、家族のエゴで生かされている年寄り達は虐待そのものだし、そこに医療費が使われて税金がなくなる事を知って欲しい
★★★3つ
脳腫瘍で余命宣告をされた親に延命を希望するか医師に問われて、我々兄弟は希望しませんでした。病気が治る見込みの無いものだったからです。まだ、若い方が事故などで意識不明になり目覚める可能性があるのなら延命する事も意味があるかも。延命を希望しないことを医師に伝えた時に、その選択がいいかもしれませんね、患者さんにとって延命措置は辛いと思いますよと言われたことを記憶しています。
名無しさん
先日亡くなった80過ぎの義父。
点滴と人工呼吸器で意識も無くなっていました。
家族は延命治療はしないと言ってましたが
これって延命治療ですよね?
人工呼吸器も最大になり常に登山をしている呼吸状態らしいと義弟から説明されました。
義弟は自分の息子に「おじいちゃん凄いなぁ~そんな辛い状態でも頑張ってるんだぞー!」って説明してたけど本当に登山状態なら可哀想だなぁー、
私なら死なせてほしいなぁーって思ったんですけど実際はどうなんでしょう?
前に実父が人工呼吸になった時「まだ酸素量を上げる事は出来ますけど患者さんご本人が辛くなりますよ、どうしますか?」と聞かれた事を思い出した。
もし、本当に本人が辛いのなら延命治療はやはり家族のエゴでしかないんだろうなぁーと思います。
名無しさん
高齢者の延命は10割負担でいいと思ってる
自己負担なら文句はないです
名無しさん
己が命は己で決めたいよね。
決めた事はたとえ意識が無くなっても家族にも尊重してもらいたい。
やはり、尊厳死問題は議論する必要があると思う。
名無しさん
特定疾患の神経難病の患者さんをたくさん見てきました。もちろんほとんどの方が家族を大切に思ってると思いますが、中には特定疾患が医療費がかからないのをいいことに、その患者さんの年金などがなくなると困るからとかなり厳しいギリギリの状態でも延命を希望してました。
名無しさん
脳出血の父をどうするか医師に聞かれ、しばらく母と相談させてもらいました。
その後どうなるかははっきり答えられないとの事でしたが、今の現実が待っていることは、想像できませんでした。昔で言う脳溢血。それで死を迎えれば、それが順当と強く感じています。
入院中の3ヶ月とリハビリ入院の1.5ヶ月に、同じ病状の方を溢れるほど見ました。確かに少し回復し、そうしている間にまた元の父の状態と同じ方が入ってきます。信じられないくらいの人々を、救命と言えば聞こえがいいけど、要介護者にしているのです。
介護施設が足りなくなるはずです。救命は小さい子、若い人だけにしておくべきです。
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